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西山荘(西山御殿)茨城で徳川光圀公が10年過ごした場所は紅葉も見事だった

西山荘 西山御殿 茨城

 

徳川光圀公と言えば、水戸黄門でおなじみの方。

諸国漫遊や大日本史の編集をしたことで知られていますが、最期を迎えるまでの10年間を過ごした場所が茨城県常陸太田市にあります。

 

起伏豊かな地形で様々な角度から庭園を楽しむことができるので、菖蒲や紅葉の時期に景色と歴史を楽しんでみてはいかがでしょうか。

 

以前は写真撮影がNGだったのですが、今は解禁になっているようですね!

西山荘(西山御殿)常陸太田市








茨城県常陸太田市にある西山御殿(にしやまごてん)は、国指定史跡、国の名勝に指定される歴史的スポット。

江戸時代初期の第2代水戸藩主・徳川光圀(とくがわみつくに)が、徳川幕府より隠居の許可が下りて権中納言となった1691年5月から亡くなるまでの約10年間過ごした場所です。

当時は、西山御殿と呼ばれていました。現在は全体を西山荘(せいざんそう)と呼ばれています。

徳川光圀(水戸黄門)ゆかりの地です。

 

常陸太田市の場所は茨城県北部に位置します。

西山御殿 西山荘 常陸太田市

那珂市の下に水戸市があります。

水戸黄門さまでおなじみの方なので、なぜ水戸から少し離れた常陸太田市で隠居生活を送ったのかということにも後ほど触れてみたいと思います。

 

この西山荘には、助さんら約60名の水戸藩士が側で仕えて暮らしていました。

 

水戸光圀公が暮らしていた屋敷からは少し離れたところに藩士たちは住んでいたそうです。

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#助さん住居跡 #常陸太田 #西山荘

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だから助さん住居跡もあるんです。

西山荘に到着!庭園を散策しよう!

 

ナビを使って車で来たり、西山荘入口のバス停で下りたりすると思いますが、西山荘の住所に到着しても、すぐに西山御殿が見えるわけではありません。

 

西山荘には、立派な庭園が広がっています。

その中を300mくらいでしょうか。歩いていきます。

とてもきれいな庭園なので、ゆっくりと景色を楽しみながら散策してみてください。

(庭園は無料で入ることができます。)

西山荘入口の「西山の里桃源」

入口にはお土産を買ったり、お食事ができる「西山の里桃源」は休憩施設がある。

ここで先の西山荘など観光ガイドもお願いすることもできますよ!

 

たくさんの花菖蒲が植えてあるので、6月中旬頃から開催される「花菖蒲祭り」に合わせて来るのもおすすめです。

 

この景色すごくないですか?

紅葉の時期がおすすめですが、あやめの時期もいいですね!幻想的。

西山荘の御前田(ごぜんだ)

由緒ある水田「御前田(ごぜんだ)」

庭園内には水田があります。

 

光圀公が隠居した場所で、5000㎡も耕して領民として太田奉行所に年貢米13俵を納めていたそうです。

市内には,水戸藩2代藩主徳川光圀公が1691年から1700年に没するまでの晩年を過ごした隠居所である「西山荘」があり,その付近には「ご前田」と呼ばれる,光圀公が一領民となられた証として,太田奉行所に年貢米を納めるため自ら耕した水田(約五十平方メートル)の一部が存在し,今日では「お田植え祭」が行われ毎年お米が作られています。引用:常陸太田市

 

年貢も納めていたと聞くと、身分にこだわっていなかったことが伺えますね。

 

しかも、隠居というと「わしはもう動けぬよ…」って感じかと思いましたが、隠居生活でもすごい精力的に動かれていたんですね!

 

(実は年をとって引退という感じではなく、将軍との不仲から隠居したという説もあるようです。融通がきかない面もあるから、将軍との不仲説もあり得そう…。)

 

庭園の先にある西山御殿へ行くには、チケットの購入が必要です。

チケット売り場ANNEX

西山御殿にある徳川ミュージアムの別館「ANNEX」でチケットを購入。

チケット販売所、ガイダンス機能のある多目的空間です。

展示コーナーがあったり、週末はスタッフによるミュージアムトークも開催しているようです。

 

チケットを購入したら、先へと進んでいきましょう。

 

西山荘は光圀公にとって理想郷でした。

入口の橋の名前も「桃源橋」と名付けられていましたからね。

くぬぎ門

くぬぎの丸太を使ったシンプルな門です。

突上御門(表門)

突上御門は、光圀公自身が考案した門。

昼間は門を突き上げておき、夜は下して塀にするという造り。

 

水戸藩の役人などがよく利用していました。くぐると西山御殿があります。








西山御殿(にしやまごてん)

西山御殿はこの敷地内でも高台、一段高い場所にあります。

東側には苑路。

 

ここが光圀が最期を迎えるまでの10年間を過ごしていた場所です。

 

あの大日本史もここで編纂していました。

光圀の死後建物は解体されたが,享保元年(1716)に再建された。この建物は文化14年(1817)に焼失したものの,文政2年(1819)に光圀居住時の三分の一の規模で忠実に再現されて残っており,敷地全体は現在「西山荘」と呼ばれている。引用:文化遺産オンライン

 

ただ、徳川光圀が過ごした建物は江戸時代に焼失してしまいました。

 

その後、1819年に8代藩主・徳川脩(なりのぶ)が再建したのが現在ある西山荘です。

(再建で縮小されたのですが、元々の規模は3倍あったらしい!)

 

再建されたものですが、歴史的に重要な場所であることは変わりません。

2016年に国指定名勝に指定。

 

(西山荘は2011年東日本大震災で大きな被害を受けましたが、2013年から1年かけて復旧工事をしました。)

 

「武家として品格ある造り」

立て札に書いてある言葉です。

 

では、徳川光圀が西山御殿でどんな隠居生活をしていたのでしょうか。

徳川光圀は西山御殿でどんな隠居生活をしていた?

徳川光圀がどんな名言を残していたのか。こちらの動画を参考にしてみてください。

 

全国諸国漫遊していた…というのは事実ではないということも有名ですからね。

 

では、西山御殿で何をしていたのでしょうか。

 

光圀公は西山荘でも薬草から約400種類の薬を調合したり、近くの古墳の発掘調査などを行って水戸藩に尽くされていました。

 

「大日本史」の歴史書編さん(編集)をするために、日本各地に藩士を派遣して現地で歴史を聞き取り調査などしていました。

 

これがのちにドラマで有名な諸国漫を遊した「水戸黄門」につながっています。

 

大日本史の編纂には、水戸藩の税収の30%を使うという莫大な予算がかかっていたそうです!

30%って大きいですよね。

水戸藩では財政悪化の要因にもなって、領民も苦労したようです。

 

黄門さまの伝説には実際は違っていた…という話も少なくありませんが、常陸太田市の西山荘で最期を迎えたことは事実です。

 

そのため、光圀公という人がどんな人だったのかも残されています。

 

水戸藩や人々の平和を心から願っていたことは本当で、ドラマでも有名な水戸黄門さまのような一面もあったのです。

 

ただただ良い人っていうわけでもなかったですけどね。

ラーメンのレシピを見て自分で作って食べたり(←日本人初)するような方だったので、情報にも敏感で好奇心、チャレンジ精神に旺盛だったのでしょう。

徳川光圀が起こした「殉死の禁止」

徳川光圀は「殉死を禁じた」ということでも知られています。

殉死は亡くなった藩士、主人に忠誠を示すため、家臣が後を追って命を絶つこと。

当時は武士の悲しい風習になっていました。

 

徳川光圀は、34歳で水戸藩主になったときに殉死を禁止します。

 

家臣が自殺をしようとしている噂を耳にすると、光圀公は家臣の家に行って説得して回っていたそうです。

その結果、殉死を見ることなく2代目藩主となりました。

 

その2年後、江戸幕府でも殉死禁止令を発令。

しかし、従わない家臣たちもいたり、いつしか子孫を優遇してもらうための手段となっていたとも言われています。

 

殉死禁止令が実現されたところを見ると、光圀公には徳があったことがわかります。

 

西山御殿はシンプルな造りをしていて敷居もありません。

身分にこだわらず領民にも普通に接していたのではないでしょうか。

 

それは「通用門」にも表れています。ということで園内の案内に話を戻します。

西山荘の観月山から見下ろす西山御殿

園内の裏門にあたる通用門があります。

通用門(裏門)

通用門の裏門もくぬぎで造られている。家臣や近所の人たちが通る門。

 

表門より立派で、これには光圀公らしいエピソードがあり、領民を大切にする思いから裏門の方を立派にしたのだとか!

 

他の門と見比べてみてください。

 

ちなみに、幕府から使者が来るときには、礼を尽くすために西山御殿ではなく水戸城で待っていたそうです。

 

光圀公はそれだけではなく、隠居する半年ほど前に、役人に各村に常にアワやヒエなどを蓄えるように言います。それは凶作の年に与えるようにと。

 

家族のいない者、働けない高齢者、体の不自由な人にもその蓄えから与えること。

 

現代で言う生活保護とか年金ということですね。

いろんな歴史の説を知ると嫌われていたり、敵もいたけどいい人だったんですね。

観月山

西山御殿の近くへ行く前に「観月山」に登って西山御殿を見下ろして見るのも良いかもしれない。(決まった順番はないですが!)

 

心字池(別名:白蓮池)越しに見える西山御殿。眺めが美しいです。

 

とても品格が感じられる場所でした。

 

自然の中なので、車が走る音なども聞こえないし、谷戸の奥なので庭園はとても静かにゆっくりと堪能することができます。








西山荘の散策跡には「茶室 晏如庵」で一服

 

西山荘を一通り散策したら、抹茶で一休み。

庭園内に「晏如庵(あんじょあん)」という茶屋があります。

 

光圀公がお茶を楽しんだ逸話から建てられました。

こんな感じでお茶を楽しんでいたのでしょうかね?

 

抹茶と季節の和菓子が楽しめますよ!どの季節に行っても風情を感じながらのんびりできそう。

 

写真からも落ち着いていてほっこりする雰囲気が伝わってきます。

まさに「晏如」という言葉通りです!

(晏如:安らかなさまや落ち着いたさまを表す言葉)

 

「晏如」という言葉は、光圀公が西山荘に隠居してから最初に建立した「梅里先生寿蔵碑」に刻まれた碑銘から引用しています。

光圀は隠居ののち元禄4年(1691)10月、国指定史跡水戸徳川家墓所に自らの寿蔵碑(じゅぞうひ)(生前墓)を建てました。そこに衣冠束帯(いかんそくたい)を埋め、梅里先生墓と名を刻み、裏面には彰考館総裁・鵜飼錬斎の撰文と伝えられる、光圀の生涯とその志が記された碑文が刻まれています。
引用:徳川ミュージアムブログより

 

「梅里先生碑陰文 2代光圀筆」は水戸市の徳川ミュージアムにあります。

西山荘は紅葉の名所

 

西山荘では、梅、新緑、紅葉、雪景色と四季を通じて自然美を楽しむことができます。

 

閑静な佇まいと風格ある御殿と紅に染まる名園が素晴らしい景色です。

 

例年、11月中旬頃から12月上旬までが紅葉の見ごろとなっています。

 

歴史を知らなくても、庭園の景色は楽しめるでしょう。

最近は写真撮影もできるようになっているので、カメラと写真が好きな方にもおすすめです。

 

私も今年は写真を撮りに行きたいなと思っています。(数年前までは写真撮影できなかったはずなので。)








徳川光圀はなぜ西山荘に隠居したの?

すごく静かで、こんな紅葉とか美しい自然に囲まれた場所で暮らしたい。そう思ったのかもしれない。

 

西山御殿の様子を見ているとなぜ、この西山荘に隠居することを決めたのかはわかる気がします。

すごく静かで理想郷だったのが分かるから。

 

徳川光圀は63歳のときに体力の衰えを理由に藩主を辞めました。

翌年、西山荘に移住。

 

現在の常陸太田市。

自然が豊かな場所だから隠居には納得ですが、水戸城から離れているからなぜここだったのでしょう。

 

住んでいる人も佐竹氏に仕えていたものが多いです。

 

諸説ありますが、この場所を選んだ理由はこちらです。

 

西山御殿を選んだ理由
  • 静かで落ち着いた環境だから
  • 父が眠る瑞龍山、母を弔う久昌寺が近い
  • 佐竹氏を慕う人々の心を和らげ水戸藩に協力したもらいたかったから

どれもあり得そうですよね。

どれが有力だと思いますか?

 

光圀公は27歳のときに17歳の泰姫と結婚しました。しかし、21歳で体調を崩し亡くなってしまいます。

悲しみが大きかった光圀公は再婚せず生涯独身だったので、家族と近い場所にいたかったのかな?2番目の説もあるかもしれませんね。

水戸黄門は7人いた?なぜ徳川光圀が注目されたの?

 

現代の私たちにも参考になるお方。

水戸黄門と言えば諸国漫遊で有名ですが、「水戸黄門」って7人いたことをご存じですか?

 

黄門は幕府から与えられていた役職「権中納言」のことです。

 

徳川光圀公を「黄門様」の愛称でよぶのは、光圀公が権中納言で「水戸黄門」と称されたことによる。
水戸藩には権中納言に叙された歴代藩主が7名居り、従って「水戸黄門」と呼べるのは、光圀公を含めて7人ということになる。引用:常磐神社

唐(中国)では中納言を「黄門」と呼んでいたことが由来になっています。

 

歴代藩主が7名もいたのに、なぜ他の水戸黄門の存在があまり知られていないのでしょうか。

 

どうして第2代藩主の徳川光圀公だけが水戸黄門として有名になったのでしょうか。

 

徳川光圀公は、大日本史の編さんを自分の現役時代には完成していないし、諸国漫遊もしていない。

 

なのに注目されたということは、当時から水戸で領民たちからも慕われていたからなのではないでしょうか。

 

政策を通しても光圀公の人柄を知ることができましたから、歴代藩主の中でも特に愛されていたのだと。

 

水戸藩主としては唯一、光圀公だけが生まれた場所も亡くなった場所も水戸藩で、歴代の中でも水戸に最も多く足を運んだもの光圀公だったそうです。

 

水戸とのゆかりが深く、政策も優れていたことが重要なポイント。

 

隠居の身でしたが、水戸で多くの領民と親交を重ねてきた徳川光圀公は、「黄門さま」として慕われていました。

 

西山荘は、ちょっと入園料金が高いのがデメリットに感じるかもしれません。

しかし、徳川光圀という人の人柄や行動を知ると、歴史の教科書では教えてくれないことを自分なりに考えることができそうです。

 

花菖蒲や紅葉など景色がより美しい時期を狙って、訪れてみてはいかがでしょうか。

常陸太田市の西山御殿(西山荘)へのアクセス

西山荘へのアクセス方法ですが、JR水郡線・常陸太田駅からバス「上宮田代行き」に乗車し、西山荘入口バス停下車で徒歩で5分です。

 

車の場合は100台停められる駐車場があります。(無料で利用できます!)

 

駐車場から西山荘の建物までは歩いて5分くらいです。

見学所要時間

西山荘の見学所要時間は、有料エリアも見て回るとだいたい20分~30分くらいになります。

 

自然囲まれた場所ですが、平坦な散策路が続きます。

階段も多くないので、割と歩きやすい場所だと思います。(高齢でも歩ける方は楽しめます!)

西山御殿(西山荘)
入園料 大人:1200円(1100円)
小中学生:900円(800円)
()内は団体料金
未就学児は無料
住所 茨城県常陸太田市新宿町590
営業時間 9:00~16:00
(入園は閉園の30分前まで)
駐車場 あり
定休日 年末年始
ホームページ 徳川ミュージアム








西山荘と併せて観光したいスポット

常陸太田市 西山荘 周辺 スポット

常陸太田市には茨城県を代表する観光スポットもありますし、近くには徳川光圀公も足を運んだスポットも!

徳川光圀公の関連するスポットも多いので、一緒に楽しんでみてください。

竜神大吊橋

西山荘 西山御殿 周辺 常陸太田市 竜神大吊橋

常陸太田市の竜神峡にかけられる「竜神大吊橋」です。

歩行者専用橋としては日本最大級の長さと高さを誇ります。

 

日本一高いバンジージャンプができる場所としても有名で、秋には紅葉の名所としても知られます。

>>竜神大吊橋をガイド!紅葉や鯉のぼりまつりにバンジーと見どころ満載

袋田の滝

西山荘 西山御殿 周辺スポット 袋田の滝

茨城県大子町にある日本三名瀑「袋田の滝」。

徳川光圀公も訪れ「いつの世も つつみこめけむ袋田の 布引出すしら糸の瀧」と詠まれていたと伝えられています。

 

新緑、紅葉、冬は氷瀑など四季折々の景色で姿を変える「袋田の滝」もおすすめです。

 

奥久慈りんご、奥久慈しゃも、温泉なども楽しめる茨城屈指の観光地ですよ!

>>日本三名瀑「袋田の滝」を徹底ガイド!一度は見たい自然が作る絶景

偕楽園・弘道館

西山荘 西山御殿 観光 偕楽園

水戸徳川家にゆかりのあるスポットと言えば、偕楽園と弘道館。

 

梅の時期だけなイメージがありますが、水戸の歴史を肌で感じながら庭園や日本最大級の藩校など日本遺産巡りをしてみませんか?

>>偕楽園の魅力が分かる歩き方!水戸市民が表門から道順をガイドするよ!

>>【弘道館】水戸市にある日本遺産!駐車場・入場料や見どころまとめ

常磐神社

西山荘 西山御殿 常磐神社 

偕楽園に隣接される「常磐神社」です。

この神社は、徳川光圀と徳川斉昭の2人をお祀りしている神社です。

 

学力の向上、合格祈願のご利益があると言われています。

>>常磐神社の御朱印は徳川家の家紋入り!歴史に影響を与えた2人が祀られる水戸の神社

徳川ミュージアム

水戸徳川家のまとまった史料、名刀「燭台切光忠」などを見ることができる唯一の博物館です。

>>【徳川ミュージアム】現存する刀の燭台切光忠が輝きだしたその軌跡

 

学生のころは興味がなかった歴史でも、意外と大人になって旅をきっかけにその地の歴史に触れることで知ることができます。

そうすると歴史も意外と面白いんですよね。

 

そんな歴史をめぐる大人の旅をするのもいかがでしょうか。

まとめ

西山御殿(西山荘)は、徳川光圀が73年という人生の最期を迎えた場所です。

 

美しい自然に囲まれた静かな場所を、のんびり自由に歩いてみてはいかがでしょうか。

 

ガイドをお願いしたりするとより深く楽しむこともできますよ!

【参考資料】

西山御殿(西山荘)|常陸太田市公式
http://www.city.hitachiota.ibaraki.jp/page/page000214.html

徳川ミュージアム
https://www.tokugawa.gr.jp/

常磐神社
http://www.komonsan.jp/

西山御殿跡|文化遺産オンライン
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/255165

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