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【茨城の城めぐり】笠間城は石垣が残る続日本100名城

笠間城 史跡 めぐり
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今回は茨城県笠間市の「笠間城跡」を紹介します。

茨城県水戸市の隣に位置する笠間市は、四方を山々で囲まれた盆地になっています。

 

鎌倉時代、東側に位置する佐白山(さしろさん)に笠間城が築かれました。

中世から近世にかけて笠間の支配拠点として機能していた場所です。

笠間城の城域は、佐白山の全域にわたる広大なもので、麓から山頂にかけて貴重な石垣、土塁、空堀などが残されています。

城跡めぐりが好きな方、また山歩きが好きな方にも散策しがいのある佐白山の笠間城について紹介します。

 

【茨城の城めぐり】笠間城は石垣が残る続日本100名城




 

笠間城は佐白山に築かれましたが、頂上には城ができる前から「佐志能神社」という神社がありました。

白雉2年(651年)、佐白山頂に真言寺院の「三白山三白寺(さしろさんさしろじ)」の伽藍(門、本堂、鐘楼など、お寺の主要な建物の集まり)が作られたという伝承が伝わっています。

 

佐白山はかつて「三白山」と呼ばれていたそうです。

それは山を守る三匹の白い動物(雉、鹿、キツネ)が神のお使いとして住んでいるということから「三白山」と呼ばれるようになったと言われています。

笠間城の歴史

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鎌倉時代に佐白山の三白山三白寺は、同じ真言宗の徳蔵引布山徳蔵寺(東茨城郡城里町)と勢力争いを繰り返していました。

劣勢になった三白山の座主生田坊は、下野守護宇都宮頼綱に助けを求めたところ、頼綱の甥の笠間時朝(塩谷時朝)を送り徳蔵寺を制圧。

さらに時朝の軍は、三白山三白寺も制圧し笠間への侵略をするのです。

 

その後に山頂の寺院を取り壊し、笠間城を築きました。

笠間城の築城が開始されたのは1219年のこと。完成したのは1235年だったと伝えられています。

こうして笠間の地を支配下においた時朝一族が「笠間氏」と名乗るようになるのです。

笠間時朝が三白寺を滅ぼした後、悪夢を見続けたので城内に観音堂を再興させたというお話もあるんですよ!

>>【佐白山正福寺】御朱印の種類は県内一!坂東三十三観音23番札所(茨城県笠間市)

 

18代にわたって笠間氏を治めますが、1590年(天正18年)に豊臣秀吉の小田原攻めのときに、笠間家当主だった綱家は、宗家宇都宮氏に逆らって小田原方の味方に!

これが原因で、小田原攻めの後に宇都宮氏勢に攻め込まれ笠間城は落城します。城主は宇都宮家家臣の玉生高宗へと変わりました。

 

1598年(慶長3年)には、宇都宮城藩主蒲生秀行の重臣蒲生郷成が3万石で封じられ笠間城に入ると郷成は阿武山に重楼(じゅうろう)を建てた。

(※阿武山=佐白山の山頂の別称)

『笠間城記』に記されている。

石垣など天守曲輪の造営を行ったと考えられています。

 

城下町の建設も玉生時代に開始され、笠間城は近世城郭として生まれ変わりましたとさ。

笠間城の概要

城の概要
通称 桂城
城郭タイプ 山城
天守構造 2重(消失)
築城年  1219年
築城主  笠原時朝
主な城主 笠間氏、宇都宮氏、蒲生氏、牧野氏
遺構 土塁・石垣・郭・空堀・土橋・堀切・井戸

笠間城の歴史を簡単に説明させていただきましたが、「かさま歴史交流館井筒屋」でも資料を見ながら歴史を知ることができます。

「かさま歴史交流館井筒屋」続日本100名城スタンプはここで

笠間城についてご存知の方や歴史に詳しい方は、そのまま佐白山へ向かって散策しにいきましょう。

あまり笠間城について知らないよ!という方は、まず「かさま歴史交流館井筒屋」で笠間城について学んでみましょう!

 

場所は佐白山の入口に位置します。

明治中期に建てられた3階建ての旅館「旧井筒屋本館」をリノベーションした観光交流施設です。

縄張図のあるパンフレットと立体模型

1階の観光インフォメーションでは、笠間城について記載されているさまざまなパンフレットが配布されています。

散策には縄張図などが役立つので、パンフレットをもらっておくと良いですよ!

 

2階は歴史展示コーナーになっています。笠間城だけでなく、笠間の歴史を深く知ることができます。

ここでは笠間城の立体模型が注目のポイントです。

縄張図を見比べて笠間城のイメージを頭に入れてから散策へ行くとより深く城めぐりを楽しむことができます。

続日本100名城のスタンプ情報

続日本100名城に認定されている「笠間城」なので、かさま歴史交流館井筒屋にスタンプが設置されています。

 

かさま歴史交流館 井筒屋 9:00〜18:00
休館日は月曜日、祝日の場合は翌日
笠間市役所笠間支所地域課 8:30〜17:15
井筒屋の休館日のみ

 

かさま歴史交流館がお休みのときは、笠間市役所に続100名城のスタンプが17時15分まで設置されます。

 

かさま歴史交流館井筒屋
住所 茨城県笠間市笠間987
TEL 0296-71-8118
営業時間 9:00~22:00




【笠間城跡めぐり】佐白山を登って散策

 

笠間城址へ行くには、佐伯山はハイキングコース、登山道を歩き、山の頂上付近の標高182mの場所にあります。

山城の笠間城へは、下屋敷跡にあたる「佐白山麓公園」からの登山道で本丸へ向かう方がほとんどです。

このルートでも良いですが、せっかくなので城主になったつもりで城の正面「大手門跡」から登城してみるのもおすすめです。

笠間城 佐白山 登山道

登山道は割と傾斜がきついルートになります。

一方、大手門跡のルートは比較的緩やかですし、近くに車も停められるので(千人溜駐車場)楽に散策できるということでもこちらが良いかなと思いました。

大手門跡と石垣

茨城 城跡 笠間城

大手門跡で注目なのは背後の石垣です。

蒲生郷成(がもうさとなり)が笠間城を近世城郭に改修した際に築かれたものです。

東日本には石垣を用いた城が少ないので、貴重な存在になっています。

 

笠間城は江戸時代を通じ笠間藩主の居城として維持され、山城として現役のまま明治維新を迎えたことも極めて特異な例でもあります。

大手門跡からは道なりに石段を上っていきます。

すると本丸に辿り着き、かつて御殿があった広場の南側に土塁が現存。

 

その上部には「八幡台櫓」という二重櫓が建てられていました。本丸の北西端にも二重櫓の「宍ヶ城櫓」が築かれていました。(現在も基礎だけ残されています。)

山頂の天守曲輪

本丸からさらに石段を上っていくと山頂には天守曲輪があります。山城ですが天守があるのは意外と珍しいものなんです。

山の上に築かれている山城は、防衛力は高いですが、街との行き来が不便なので統合には不向きな構造。

 

実は安土桃山時代には山城は廃れていて、この時代には統治しやすい平山城、平城が主流になっていました。

笠間城は、蒲生氏によって近世城郭として整備され、珍しく山城だけど天守が築かれたのです。

天守といっても巨大なものではなく二重櫓程度の規模。天守曲輪には約4mにもおよぶ巨大な石垣がありました。

残念ながら東日本大震災で崩れてしまい、完全には修復がされていない状態です。

現在も一部で立入禁止区域になっていますのでご注意ください。

 

明治時代に廃城令で笠間城の建物は取り払われ、現在、天守曲輪には佐志能神社(さしのうじんじゃ)が祀られています。

神社の建立には天守の部材が転用され、本殿を取り囲む塀は天守の屋根瓦を積み上げて築かれました。

城内に残るおすすめスポット

笠間城 石垣 ▲石垣

天守曲輪の散策の後には、佐白山の東麓に位置する「石倉」の見学はいかがでしょうか。

石倉

天守曲輪への石段の入口脇に案内標識が出ています。細い山道を歩いていきますが、そこまで傾斜など険しい道ではありません。

石倉と言っても巨石が露出する採石場です。

東日本では石垣が少ないと言いましたが、良い石が採れる場所が少ないことが挙げられます。

笠間城は場内で石材を賄うことができたから、石垣を築くこともできたのですね。

採石といえば、笠間市には採掘規模日本一と呼ばれる稲田みかげ石の「石切山脈」も有名ですよ!

「坂尾の土塁」と「真浄寺の八幡台櫓」

笠間城の中心から離れた場所になりますが、「坂尾の土塁」と「真浄寺の八幡櫓」も必見です。

この枡形土塁は、国道50号線、関場から佐白山に向かって南、坂尾に入る道を100mほど行った所に、道をはさんで左右に築かれている。土地の人は杉並土手とよんでいる。この土塁は城の前線で防備のために築かれたものである。築かれた時期は不明であるが、中世末までにはできたと考えられる。笠間城の外郭防備の遺構として現存する唯一のもので貴重である。引用:笠間市

市指定文化財になっています。

 

真浄寺の八幡台櫓は、相生町の真浄寺にかつて笠間城の本丸に建っていた櫓が移築されています。

現存する笠間城の建築物として貴重な存在です。

 

茨城県内には貴重な史跡が残る場所があって、城めぐりをすると今まで知らなかった新しい魅力を発見することができます。

笠間城から近い場所と言えば、隣町の水戸市。

日本100名城に認定されている「水戸城址」も散策されてみてはいかがでしょうか。




笠間城跡の基本情報とアクセス

笠間城について基本情報とアクセス、また駐車場などチェックしておきましょう。

笠間城
住所 茨城県笠間市笠間3613
電話番号 0296-71-8118(かさま歴史交流館井筒屋)
アクセス JR常磐線「友部駅」より「かさま観光周遊バス」で約15分
「笠間日動美術館」下車、徒歩約20分
備考 笠間駅でレンタサイクルあり
ホームページ 笠間市公式ホームページ

 

アクセス・駐車場と所要時間

あまり体力を使わずに城跡見学をしたいという場合は車がおすすめです。

車で千人溜り跡にある「千人溜駐車場」まで行くと比較的楽に回ることができます。

 

笠間駅からかさま周遊バスで「日動美術館」下車、そこから笠間城跡まで徒歩20分です。(バス停からすぐに史跡「大石邸址」「大石内蔵助の像」があります。)

 

大石邸跡の隣、日動美術館の近くにある「公営笠間稲荷駐車場」なら、トイレや観光案内所もあるので便利です。

笠間城へ向かう前にトイレを済ませておきましょう!

駐車場の階段を上って時楼側から上ることができます。途中の分かれ道を左へ道なりに行くと千人溜まり跡です。

ここからは本丸まで階段でショートカットすることもできます。

 

笠間駅横の観光案内所ではレンタサイクルもあります。(普通300円、電動500円)

中腹のパーキングまでの途中には15分くらい登り坂があるので、自転車は押していくことになるでしょう。

笠間城跡散策は、空堀、石垣、階段、八幡櫓跡、天守跡まで登ってじっくり見た場合でも所要時間はだいたい90分くらいでしょうか。

サクサク歩いて見れば1時間くらいですかね?

笠間城周辺のスポット

笠間城 城跡 史跡 石切山脈▲稲田みかげ石が採れる「石切山脈」

笠間城周辺にも観光でおすすめのスポットがあります。

GW期間中は、隣の笠間つつじ公園でつつじ祭、笠間芸術の森公園では笠間焼の陶火祭(ひまつり)という陶器市イベントが開催されています。

かなり人が集まるビッグイベントなので、周辺の駐車場はけっこう混雑します。

 

笠間城跡、つつじ、笠間焼などの陶器も全部一度に楽しむなら5月の連休中、秋なら紅葉も一緒に楽しめるでしょう。

混雑が嫌いな方はその他の時期に行かれると良いかと思います。

笠間稲荷神社

すぐ近くに日本三大稲荷のひとつである「笠間稲荷神社」があります。

格式が高く立派な神社です。

参道、門前通りも笠間の名物グルメが販売されていたり、カフェやお食事処があるので合わせて参拝しておきたいところです。

詳しくはこちらを参考にしてみてください。

>>【笠間稲荷神社】御朱印は2種類ある?境内の建物・狐や藤棚を現地レポート

石切山脈

全国的に有名な「稲田みかげ石」。

笠間市稲田には東西8㎞、南北6㎞にもわたる採掘現場「石切り山脈」があり、その石の採掘規模は日本一と言われています。

見学には連絡が必要ですが、白く美しい採掘現場の景観が壮大ですよ!

石切り山脈
所在地 茨城県笠間市稲田4260-1 ㈱想石 稲田営業所
TEL 0296-74-2112
アクセス 北関東自動車道 笠間西ICより10分
ホームページ http://www.sou-seki.com/

 

城跡・史跡めぐりって面白い!

これまであまり関心がなかった歴史でも、出かけたスポットでその土地の歴史を知ったり、現存する建築物などを見ると意外な魅力を発見できることがあります。

城跡めぐりをすると歴史を改めて知りたくなってしまいますし、残されている貴重な物や文化は守っていきたいものですね。

 

笠間城のほかにも茨城県内には城跡があるので、観光しながら城めぐりをしてみてはいかがでしょうか。

【参考資料】

笠間城の歴史|笠間市公式ホームページ
https://www.city.kasama.lg.jp/page/page006719.html

笠間城|wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/笠間城

日本100名城®|公益財団法人日本城郭協会
http://jokaku.jp/japan-top-100-castles/